shukoの生活

慶大、起業歴あり。これまでエリート街道まっしぐらでやってきた慶大生。就活という”馬鹿デカい壁”にぶち当たり、もがき苦しんでいる彼が日々の生活の中で得た気づき・学びをまとめていくページ。しばしば適当な内容も投稿。

じれったさが生まれる瞬間

正解なんてないんだからさ。。。

 
多くの場合、そこには他者が関与していることが多いだろう。
 
昨日のことを例に挙げるが、
アナウンサー志望の友人がサマーインターンに向けて自分の作ったESに対して先輩からの批評をもらった。
その内容がコンテンツそのもの自体を大幅に変更する必要があり、期日のことを考えると完成が間に合うかどうかが危ぶまれ、それは非常にリスクがあるということだった。
たしかに、実際に選考を通過された方の意見は貴重であるし、多くの場合正しいと思う。
直した方がいい、とはいえ間に合うかどうかわからない。
この解決しない「負」のループに彼は陥っていた。
 
私は彼に対してなぜじれったく感じているのか?
 
単純に
・アナウンサーになりたい
・アナウンサーになった先輩の意見は正しい
 
この前提があるならば、
アナウンサーになるためにはインターンに参加することが重要
→そのためには選考に通過しなければならない
→通過できるレベルのESを完成させる必要がある
→そこに対して先輩からの意見をもらえたのだから、その点について修正する
→修正点がなくなるまでこれを繰り返す
→終わり、結果を待つのみ
 
これでいいのではないか?
 
なぜ、この簡単な手順を踏めないのか
 
そこには「間に合うかな」「修正していいのができるのかな」
といった感情が邪魔をしているのだろうが、そんなものは関係ない。
時間は全員に平等に与えられているのだから、そんなこと考えてる時間があったら、さっさと手を動かした方がいい。
もし、間に合わないと思うなら、今回はこのまま行って、次回以降同じようなことを繰り返さないように対策を練ればいいではないか。
 
 
 
シンプルに考える
素早く行動する
 
 
 
単純なことだけすれば良いのだと思う。